
演劇と教育 4月号に作品評が掲載されました!
『子どもに誠実であるということ』
高橋一元 愛知・東海学園大学准教授・人形劇評論
人形劇団夢知遊座公演
『雨ふらんでケロ』 原作=日本の昔話/脚本・演出=鈴木宣隆
『たべたいなア―』 原作・演出=鈴木宣隆/脚本=佐藤千夏
保育園の中を夢知遊座の二人が、ギターを弾き太鼓を叩き歌を歌いながら廻っていく。上演会場に集まった子どもたちは、すっかりお祭りムードになっている。
最初の作品は『雨ふらんでケロ』。
世話焼きの母カエルとへそ曲がりの子ガエル。子ガエルのへそは母親のみならず、周りのカメやナマズにも曲がる。カメに「子どもは大人の言うことを、はいはい聞いていればいい」と言われれば、何を言われても「ハイハイハイハイ」で「いい子は楽でいい」と呆れさせる。また、トンボを捕って食べようとするのをナマズに咎められると「食べんかったら、おらがお腹がすいて死んじゃって、おらが可哀想」と言い、そのナマズが小魚を食べるのを見ると、「でも、魚だって生き物だろ。何でおばちゃんだけいいの?」と問う。
「へそ曲がり」は自立の始まり。子どもを自分たちの論理に閉じ込めようとする大人の欺瞞を子どもは簡単に見抜き、それに逆らうことで自立する。しかし、時にお互いを思いやる気持ちはすれ違い、悲しい結末となる。
だが、雨が降るたびに泣きながら子ガエルが墓を守ってくれる母カエルは、安全な地に墓を作られ忘れられてしまうよりは幸せなのかもしれないと、五十歳近くなった私は思ったりもする。
『たべたいなァー』は子ブタとオオカミの話。腹を空かせたオオカミに捕まってしまった子ブタの最後の願いは、「遊んで」。子ブタのペースに乗せられているうちに、二人の心は通い合ったかに見える。
子ブタ「オオカミさんって、本当に悪いオオカミさん?」
オオカミ「いいとか悪いとか、オオカミはオオカミ」
子ブタ「オオカミさん、私たち友だちだよね」
オオカミ「そいつはどうかな」
子ブタ「どうして」
オオカミ「どうしてって、それは、おまえがブタで俺がオオカミってことだ」
オオカミは精一杯のやせ我慢で、子ブタを逃がす。なぜやせ我慢ができたか。「お腹じゃなくてもっと上のところ」がふくれたからだ。それでもつい本音を漏らしてしまう。それがこの芝居の題名。『あらしのよるに』より少し早く世にでた、ひと味違う捕食者と獲物の関係がここに描かれている。
この二作品は、今年劇団創立十五周年を迎える夢知遊座が、旗上げ当初から上演している演目である。十五年間支持されてきたこの作品に、夢知遊座の原点があり、こだわりがある。それは「子どもに誠実であること」だ。
夢知遊座の作品は、必ずしもハッピーエンドでは終わらない。
「がんばって」いれば望みが叶う。子どもは綺麗な夢だけ見ていればいい。そんな高度成長期的な向日性や、人間の本質を避けて通るまやかしの理想主義をいまだ臆面もなく揚げて、使い古しの結末に陥る芝居をしばしば見るが、それが子どもたちに誠実だと言えるだろうか。
ただ「がんばる」だけでは、もう、どうにもならない現実がある。人間の暗い部分、弱い部分、誰かを喰わなければ傷つけなくては生きていけない。``業``のようなもの。それもまた人間であり私たちを取り巻く世界なのだと、子どもたちに示し、そのうえでどう生きていくかを一緒に考えていくことが大切なのではないか。
そしてその一つが、「がんばる」のではなく「夢中になる」「夢中になって遊ぶ」ことなのだと、夢知遊座の作品は言っているように思う。
<09年1月8日/名古屋市立第二幼稚園にて>
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